スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
.-- --
スポンサー広告 comment(-) trackback(-)

誰が行動しているのか?

近頃ちょくちょく思うのは、ほとんど「私」が「考えて」行動なんてしていないということです。

ご飯を食べているとき、ご飯以外のことを考えながら食べることができる。それって「思考としての私」がコントロールしてると言えるでしょうか?
他のことを考えながら、ご飯を食べているのは誰なんでしょうか? ご飯を食べるという行動を起こしているのは何なのでしょうか?

日常のありとあらゆる活動が、思考を通さずに行われていると気づいて、私はびっくりしました。

歩くこともご飯もトイレも歯磨きもお風呂掃除も、仕事すら大して思考を通していませんでした。

行動が起こっても、思考は「今」行われたことなどあまり気にせず、他の「重要(笑)」なことを考え続けます。たまに、行動から少し遅れてコメントをし、「私」が「考えてやった」というフリをします。

それは「私」が行動していると言えるでしょうか?

「私」が行動したのではなく、行動は自然に起こったんじゃないでしょうか。
自然に起こった行動に、思考はただ、あーだこーだ言ってるだけではないでしょうか。

ちょっとの間でも、「今」行っている行動を、静かに見守り、観察してみると面白いです。コントロールしようとしなくても、こんなにも器用に動けるのかと、私は新鮮な気持ちになりました。

動くことだけではなく、動かず、ただ寝っ転がっていることもまた自然に起こっています。
思考は「何かしなくていいの?」とか言ってきますが、もし、そのときにただ寝っ転がってるのなら、寝っ転がっていることが自然なんだと思います。
寝っ転がるのをそのまま受け入れていると、そのまま眠ることもありますが、自然と次の行動が起こります。

また、先日、寝付きが悪い日があり、「早く眠らないと」と思ったりしていたのですが、「今、体が目を覚ましてるんだから、起きていたいんじゃないのか?」と思い直し、眠ろうとするのを止めてボーッとしていたらいつの間にか眠れましたw


そのときそのときの「今」、行っていること、起こった行動を受け入れてみてください。
すごく楽な気持ちになります。
それぞれに発見もあるかもしれません。
毎瞬毎瞬、自分を愛することになるので、良い事尽くめな気がします。


 + + + 

「しなくてはならない」と感じていることを、今、していないのなら、していないことの方が自然なんだ。
スポンサーサイト
.11 2012
★実践レポート comment(2) trackback(-)

なんだかわからないけどイイネ!(・∀・)b

フィーリングで選ぶのはいいよという体験を2つ。


京都に行ってきました。
梅小路機関車館というところに行きました。
京都のことを調べていて、たまたま見つけた場所です。
鉄道に一切興味がないのに、「なんだかわからないけど行ってみたい!」と思ったのでコースに組み込みました。
で、なんだかわからないけど楽しかったですw
「デゴイチ」の愛称で有名な「D51」に乗れたのですが
汽笛の音を聞けたことに非常に感動しました。
自分がこういうことに「楽しい、嬉しい」と反応することが意外でした。自分の知らなかった一面を発見できたのも嬉しかったです。

「なんだかわからないけど惹かれる♪」

に従うことは普段自分が想定している「良いこと」の外側に連れて行ってくれるようです。

あと道中、地下鉄の切符を買おうとしたら
知らないご夫人から1日フリーパスを頂いてしまいました。
びっくり!

 * * * 

本屋にて。
欲しい本、AとB、2つありました。
どちらを買うか迷いました。
Aは「今日見つけたら買おう」と思ってた本。
Bは前に欲しかったけど、欲しかったことを忘れてた本。
Aは前日もレビューなど見まくってました。
でもBを買いました。
理由は、立ち読みしたときのフィーリング。

Aは「昨日、あんなに読んでみたいと思って調べたし、見つけたら買おうって決めてたし、必要なことが書いてありそう…でもハートにそんなに響いてない」という感じ。
Bは「前に読もうと思ってた。なんか良さそう。わくわく」

機関車館のときと似てますね。「なんとなく良さそう」

Aを読んでないので比較できませんが、Bで大満足しています。
そして昨日あんなにAのことを調べたのに、Aを読んでも読まなくてもどっちでもいいやーって気持ちになってる不思議。

自分にとって「良いこと」って理屈や想定を超えたところにあるようですよ。
.15 2012
★実践レポート comment(2) trackback(-)

ダメ判定/ネガティブを利用

今日は自分が無意識に「ダメ」とジャッジしているのがよく見えました。
今までスルーしてたホコリに気づくようになった感じ。

ネガティブな思考や感情が湧いてきたとき
だいたい「ダメ」って判定している思考がくっついてますね。

今日あったことで言えば…
思い通りに買い物が完了しなくて
「あー、思い通りいかなかったよ…」
って、ちょっと凹むのと同時に
「この結果はダメだ」
っていう感覚がありました。

「あ、ダメって感じた」と気づいたら
「本当にダメ? 別によくない?」
って気になりました。
よく考えれば、今日絶対必要なものは揃ったし
買い損ねたものは、今日買わなくてもいいものばかり。
全然OKでした。

他にも色んなパターンがあると思いますが
これで「ダメ」判定したままだと「流れに逆らう」
ってやつになるのかな…とふと思いました。

今日手に入れなかったけど、後日、もっといいものや
いい状態、ふさわしいタイミングで手に入るかもしれないし。
そう期待する必要もないけどw


あと、ネガティブな感情の使い方がわかってきました。
スピ系ではよく言われてることですが
「感情ナビ」とか「お知らせランプ」的な使い方。

ネガティブな感情が湧いてきたということは
「それ」を選びたくない

ってことです。うわ、すごい当たり前だw

「上手くいかなかったらどうしよう…」って浮かんでネガティブになるのは、「上手くいかない」を選びたくないっていうことですよね。
で、ネガティブな思考も感情もエゴからなので、エゴに向けて

「うん、上手くいきたいよね。『上手くいく』を選ぼうね!」

という態度をとればいいんだと思いました。
いつもの生活感溢れる例が浮かばないんですが…

エゴを観察している場に意識があるとき、ネガティブな感情は、
自分が見たい方向、意識したい方向を示す道しるべになる、ということです。

自動的に見たい方向、感じたい感覚に意識を向け続けられないうちは
(今、私がそうであり、実践中。)
「あら、違う方見てた」
って気づける(意識を向け直せる)ので、ネガティブも結構便利だなーと思った次第です。
.24 2012
★実践レポート comment(4) trackback(-)

ニンジンにピーマンてシール貼ってた

気になることがあって

これはどうしたらいいんだろう?
何に気づけばいいんだろう?

と思っていました。
でも

きっと考えてもわからん。
どうしたらいいか教えてください。
宇宙にお任せしますっ(>Д<)

ってお任せしたら、
今日買った本に「これだ!」と思うことが書いてありました。

宇宙さん、仕事早い。


気になることっていうのは
ある人が元気ないので、どうにかしたい
ということでした。

他人をコントロールすることはできない。
他人も内面の投影。

っていう知識は出てきて、

相手の苦しみを、私は持っている?
それを認めてない?
認めることに手応えがない…
こんなときはポノか?

とか、エゴってたので
上に書いたように考えるのをやめました。


で、読んだ本に

「他人をそう見なしてるからそうなる」


みたいなことが書いてありました。

「元気ないのがその人だ」って思ってたwww
「この人はこういう人」って思ってた!

そう思ってたことなら、十分認められます。
思った通りに、現実を創ってましたw

ついでに、

あの人はいつも不幸そう
生きるのは大変
社会は厳しい

とか思ってたことに気づいたと同時に

勝手に思い込んでレッテル貼ってたw
選びたいものを選ぼう♪ 決めよう♪

って感じになりました。

「観念」っていうのは知ってますが
それがどんなものか腑に落ちた感じです。
悪いもの、邪魔なものって感じではなく
ただそう思ってただけ

にんじんに「ピーマン」ってシールを貼ってただけ。

だから、

違った違った。間違えちゃった(・ω<)☆テヘペロ


みたいな。
あとは、ただ間違って色々見ていただけなので
ラベルは淡々とはがして、横において
好きなものを「これが私の本当!」って決めればいいんだと思います。
エゴが今までのラベルを持ち出すかもしれませんが
できる限り気づいていこうと思います。


内面の投影っていうのも色んな表現と内容があるんですね。
今日も良いことを教わりました。感謝☆
.18 2012
★実践レポート comment(2) trackback(-)

ちょっとだけ不思議な体感

1週間ほど前、不思議な感覚を味わいました。

電車に乗っていたときに
肉体の自分が、今見ている風景(電車内、乗客)の1つに過ぎない
感覚になりました。

いつもの自分も一応認識しているんですが
この自分を含んだ風景全体が本当の自分というか
自分が「場面そのもの」になった感覚。

意識が広がった感じ。空間が自分という感じ。

エゴのちっぽけさも感じました。
「普段認識している自分は、すごく狭い範囲(エゴ)を超拡大して
それだけが自分だと思い込んでる状態」
というような表現をどこかで読んだんですが
あー、なるほどーって思いました。

で、この感覚と「行為に集中する」っていうのが繋がって
行為に集中するということは、精神統一して集中するとかじゃなくて
(それも間違いではないだろうけど)
行為そのものになる。行為する場面そのものになる。意識を広げる。
っていうことなんだと思いました。
エックハルト・トールさんが行為に集中することをすすめていたのは
集中し行為そのものになることで、意識が本質の自分に馴染み
本質の自分を思い出す(=悟る)きっかけになるからなんじゃないでしょうか。

1週間ずっとあの感覚をキープしてるわけではなく
たまにチラリと感じる程度です。
でも、エゴのちっぽけさを知り、
より一層エゴと距離を取れるようになったのは良かったです。
本質の安心や喜びに集中できますからね(^^)
.15 2012
★実践レポート comment(2) trackback(-)

☆あいさつ☆

ご来訪、ありがとうございます。
常春(とこはる)と申します。
精神世界に興味がある普通の人です。

ここでは、実践したことや気づいたこと、気になったことを、ゆるーくレポートしていきます。
自分のために書いていますが、 多少なりとも参考になれば幸い。
エゴっても生温かく見守って頂けると嬉しいです。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

大事なのは自分を愛すること。
自分と対話すること。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆
7/27 ただいま放置中w
ご自分にピンとくるところだけ
美味しいとこ取りな感じで
テキトーに読んでいってください。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆
13.1.11 ツイッターのアカウントを削除しました。

14.1.27 メールフォームが機能してないかも??
なので、非表示にしました。

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

最新コメント

リンク

.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。